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ドイツでの生活をまたーりと綴ります
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昨日はベルリンの壁が崩れた日。今年はその20年目あたるという。1989年というと、昭和が終わった年だし、チャウシュエスクが処刑された年でもあったんだっけ?この年は、東欧が不穏な年だったなぁ・・・・。受験で「きっと世界史では東欧がでるかもね」なんて予想してたりした。出たかどうか忘れちゃったけど。

残り1分くらいに混乱の原因となったニュースが

夜のニュースで伝えられた誤報がきっかけで、ベルリンの壁が崩れたという。「ニュースで国境を開放するって聞いた」という住民が、ベルリンの壁に押しかけてきて、国境警備隊と押し問答している最中に、国境の扉(検問所なのかね)が開けらけたという。一度開けられた扉には、東西の人々が洪水のように押しかけ、収拾がつかなくなってしまった。よくテレビで見かけるベルリンの壁崩壊の図は、11月9日に起こった出来事。落書きがある方が西側。東側は壁の前にさらに鉄線のようなものがあって、壁に近づくことができなかったとか。なので、みんな西側から壁によじ登ってみたり、ハンマーで壊してみたり。ものすごく好き勝手なことしてたけど、これもこの夜限り。次の日からは、壁に近づくことが禁止されたという。

次の日から東側の人が西側に行く時は、ビザを申請するだけでOKになって、身分証にはんこを押してもらうだけ。各地の役所は、ビザの申請者で溢れ返ってたとか。義父はフランクフルトに親類がいて、ダンナと一緒にビザをすぐに申請して、フランクフルトに向かったという。駅は、西へ向かう人でこれまた溢れていて、電車の窓側に座ってる人に、「50マルク払うから、窓から入れてくれ」と頼み込む人がいたほど。東からの訪問者には、到着したその日のバスや路面電車の料金は無料だったんだって。

それで思いついたんだけど、「東のマルクって使えたの?」って聞いたら、「使えないけど、自分たちは十分西側のマルクを持ってたよ」という。「わりと、DDR市民は西マルク持ってたんだよ」とも。この地域は、メッセが年に数回開かれていて、西側の会社も参加してた。メッセ会場周辺やライプチヒの中心地には、西マルクが使えるお店がいくつかあって、それなりに西マルクは流通していたとか。観光地なんかでは、チップを西マルクで貰ったという。おじさんの知り合いは、有名なレストランで働いていて、特別なものをおじさんから仕入れる時は、いつも西マルクで支払ってたんだって。西側から親戚が来る時は、子供たちもお小遣いを西マルクで貰っていたとか。クリスマスや特別な時は、西マルクショップでお買い物をしてたという。「東側は何もなかったというわけじゃないんだよ。ただ、量が少なかっただけで、待ってれば手に入るものは割りとあった」という。

壁崩壊前は、一応、戦時中ということだったらしい。ベルリンの壁が崩壊して、事務的な諸手続きなどが終わって、正式に戦争が終結したのが、1990年10月3日だという。今のところ、ダンナは人生の半分が戦時下にあったことになるんだね。
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